貨幣(お金)の歴史から見る「仮想通貨」

筆者は昨日、日本銀行の本館前にある「貨幣博物館」(外部リンク)に3回目の訪問をした。日銀が保有する江戸後期から明治初期の錦絵を現在、期間限定で公開中と聞いたからである。この当時の錦絵は、急激な物価上昇を風刺した作品が多い。展示品の中で、特に興味深かったのが、「欲の戯(たわむれ)・ちから競(くらべ)」の錦絵である。その中では、擬人化した「米俵」と「政府紙幣」が、自らの首に輪をかけて互いに引っ張り合う首引き競争で、米俵が政府紙幣を圧倒している様子が描かれている。この錦絵が書かれた時代の背景にあるのが、1877年(明治10年)の西南戦争である。明治政府は戦費調達のために、金・銀との交換保証のない不換紙幣である政府紙幣を発行したのだが、この政府紙幣の大量発行が高インフレを招いた。錦絵は、紙幣の大量発行で実物資産である米俵の価格が暴騰してしまう様子を揶揄したものである。そして、この高インフレが日銀発足の契機となった。つまり、1881年に大蔵卿(現在の財務相)に就任した松方正義薩摩藩士)が物価安定を図る中央銀行の必要性を強く提唱して、82年に日銀を設立するに至ったのである。
 上記のように、西南戦争のために政府側は政府紙幣を大量発行したが、戦いの相手側である西郷軍も、「西郷札」と称される不換紙幣を発行した、という事実は非常に興味深い。西郷札とは、敗走中の西郷軍が現在の宮崎市近郊で発行した軍票であり、貨幣博物館で展示中の錦絵の真下には、政府紙幣と並べて西郷札も展示されている。そして、これらの展示品を見ていると、貨幣(通貨)や紙幣とは何か、貨幣の強制通用力とは何か、といったことを改めて問いかけているように思える。
 そこで以下では、貨幣(通貨)の成り立ちや歴史を振り返ってみたい。先ず、太古の昔であるが、貨幣など存在しない「物々交換」の時代であった。物々交換が成立するための大前提は「等価交換」であるが、物々交換(等価交換)が不自由極まりないことは容易に想像でき、やがて「物品貨幣」の時代に入って行く。そこでは、「毛皮」、「稲」、「貝貨」、「宝貝」などが原始貨幣として活用されるのであるが、これらは物品ではあっても、貨幣として持つべき3つの機能(交換手段、価値の貯蔵手段、価値の尺度手段)を備えている。従って、「物品貨幣」の時代が貨幣経済の始まり、と言って良い。そして、その次の時代が「金属貨幣(金貨・銀貨)」の時代であり、「毛皮」や「貝貨」等に代えて金や銀が貨幣として使われるようになった。「金は誰の債務でもない」との格言が示すように、金(銀)は、それ自体が究極の価値を持つものである。こうした金(銀)が鋳造されて金貨(銀貨)となり、他のモノとの交換に使われたわけであるが、金貨(銀貨)自体が価値を持つものなので、金貨(銀貨)でモノを買う行為もレッキとした「物々交換(等価交換)」であったと言える。しかしながら、金貨などの金属貨幣は持ち運びなども含め、なお不自由極まりない。そこで、やがて「紙幣」が登場した。ではなぜ、所詮は紙切れに過ぎない紙幣が交換手段として使うことが可能であったのか。つまり貨幣としての通用力を持ち得たのか。それは、発行された紙幣が金(銀)の代替物であり、その紙幣を発行者のところに持ち込むと、いつでも金(銀)の実物に代えてあげる、との保証付きだったからである。これが「兌換紙幣」である。このように、兌換紙幣とは金(銀)の裏付けのもとに、発行されていたものである。換言すると、紙幣の発行額は金(銀)の保有量に限定されていた。
 しかしながら、さらに時代が下って経済活動もさらに活発になると、金(銀)の保有量と比べて、紙幣の必要量が大きく上回るようになる。そこで登場したのが、金との交換の保証(金の裏付け)なしに発行される「不換紙幣」である。金との交換保証がなく、受取人(保有者)の立場からすると不安で一杯のはずの不換紙幣を発行し、流通させることのできる人は、どのような人か。それは、絶対的な権力を持つ人(例えば、国王)であったに違いない。その「権限(オーソリティー)」と「鶴の一声」を背景に、権力者は不換紙幣に強制通用力を持たせることができたのである。こうして権力者は、金との裏付けなしに、すなわちタダ同然で一定の額面の紙幣を発行し、自らもそれで買い物ができたのだから、紙幣の印刷代を除くと、「丸儲け」である。そして、不換紙幣の発行者が獲得できる額面と発行費用(額面と比べるとごく僅か)との差額を、「シニョレッジ」(通貨発行益)と称した。シニョレッジなどと言うと、大層難しそうに聞こえるが、中世ヨーロッパの領主を意味した「シニョール」から派生した言葉である、と聞くと、「なるほど」と納得できそうである。
 それでは、現在、各国の通貨当局や中央銀行が発行している紙幣はどうか。第2次大戦後であるが、いわゆる「ブレトンウッズ体制」の下で、米国は米ドルと金との交換を保証するとともに、各国は自国通貨の平価を維持する(=対ドルでの固定相場を守る)義務を課されていた。これがブレトンウッズ体制の下での「金・ドル本位制」であり、要するに米ドルも各国通貨も兌換紙幣であった、と言って良い。この体制を崩壊させたのが1971年8月にニクソン大統領によって発表された米ドルと金の交換保証の停止宣言である。これが世界史に残る「ニクソン・ショック」であり、これにより米ドルも各国通貨も金とのリンクが断ち切れてしまうと同時に、殆どの先進国通貨は対ドルでの固定相場制を放棄して変動相場制に移行したまま今日に至っている。要するに、今日ではわが国を含む殆どの国の通貨が金との交換保証のない(金の裏付けのない)不換紙幣となっているのである。
 では、不換紙幣である貨幣を私たちは、なぜ安心して使っているのか。それは、法律の規定によって「強制通用力」が付与されているからである。紙幣(銀行券)の場合、日本銀行法の第46条第2項が、「日本銀行が発行する銀行券は、法貨として無制限に通用する」と規定している。硬貨(百円玉など)についても、「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」の第7条が、「貨幣は、額面価格の20倍までを限り、法貨として通用する」と規定してくれている。
 以上は、現金(紙幣と硬貨)に関することであるが、今日では「貨幣(通貨)」の定義の中には、「現金(紙幣と硬貨)」に加えて、「預金」をも含んでいる事実を忘れてはならない。そして、実際に世の中に出回っている貨幣(通貨)の量を見ると、「現金通貨」が100兆円程度であるのに対して、預金通貨は普通・当座預金だけでも約600兆円に達しており、預金通貨の方が遥かに多額なのである。では、私たちが、現金だけでなく預金通貨も含めて貨幣(通貨)を保有していることに何の心配もないのは何故か。無論それは、上記の法律が法貨として無制限に通用することのお墨付きを与えているからだろうが、それに止まらず、私たちがわが国の社会全体の「システム」に全幅の信頼を置いているから、と言えるのではないか。要するに、現金であれ預金であれ、日本円である限り、当局を含むあらゆるシステムや仕組みがその価値を守ってくれている、と私たちが信じているからではないか。仮に、この信頼が乏しくなると、私たちは自らが保有する貨幣(現金と預金)を海外に持ち出して他国通貨に交換しようとするに違いない。これが起きているのが中国であり、そこで中国当局は中国人が人民元を海外に持ち出す行為を厳重に規制しようとしているのである。
 最後になるが、以上で見た貨幣の歴史等も踏まえつつ、ビットコインなどの仮想通貨も、貨幣(通貨)と言えるのか、につき記述してみたい。仮想通貨に関しては、本年4月に施行された「改正資金決済法」によって、定義がなされた。それによると、仮想通貨とは、①電子的に記録され移転できること、②法定通貨、または法定通貨建て資産ではないこと、③不特定多数への代金の支払いに使用でき、法定通貨と相互に交換できること、の3要件を充たすもの、と要約できる。そのうちの②にあるように、ビットコイン等は「日本円建て」ではない、独自の通貨単位の通貨である。それでも、仮想通貨は、上記した貨幣として持つべき3つの機能(交換手段、価値の貯蔵手段、価値の尺度手段)を備えている。そうした意味では、貨幣であると言うべきだろう。
 その一方で、日銀は、「貨幣供給量(マネー・ストック)」統計を発表しているが、同統計上では、「貨幣(マネー)とは、一般法人、個人、地方自治体が保有する貨幣(現金+預金)の総量である」、との定義付けをしている。つまり、日銀の言う貨幣は日本円建ての現金と預金のみが貨幣であり、ビットコイン等の仮想通貨は貨幣に含んでいない。ちなみに、スイカ等の電子マネー(円建て)も現状では、日銀の貨幣供給量統計には含まれていない。従って、将来的には日銀が定義を変更して、電子マネーのみならず仮想通貨に関しても、通貨供給量統計の中に含める扱いとする可能性がある、と筆者は考える。ただし仮想通貨が、強制通用力を持つ法定通貨の地位にまで引き上げられるか、と言うと、それは一気にハードルが高くなる気がする。仮想通貨には、中央の管理者(日銀などの当局)がいない、という非常に大きな特徴がある。日銀自身では管理できない仮想通貨に対して、日銀法の規定により「法貨として無制限に通用する」とのお墨付きを与える時代が直ちに到来する、とは全く考えられないからである。
 貨幣博物館には、「大勢の人が『これはお金だ』と思うものが、その時代、その地域で『お金』として使われてきた」、との文言も展示してあった。金融の教科書では、これを「一般受容性(Acceptability)」と表現している。ビットコインなどの仮想通貨が、既に「大勢の人によってこれはお金だ」と思われている地位を獲得しているようには到底、思えない。仮想通貨が一般受容性を獲得するまでには、まだまだ多くの試行錯誤と時間を要するのではないか。

 

www.sbi-u.ac.jp

書籍紹介『貨幣の新世界史 ハンムラビ法典からビットコインまで』

 

学校の歴史の授業では、お金のはじまりは物々交換だったと教えられることが多いのではないでしょうか。大昔の人たちが、たとえば魚と肉を交換しているイラスト入りの教科書などもあるでしょう。

本書『貨幣の「新」世界史』(原題Coined: The Rich Life of Money and How Its History Has
Shaped Us、2015年刊)は、私たちの生活に欠かせない存在であるお金を様々な角度から分析しながら、今日に至るまでの長い歴史を紹介していきます。貨幣の世界史というと純粋な経済書のようなイメージがありますが、そうではないところが本書の大きな特徴です。生物学、脳科学、心理学、人類学、宗教、芸術など、網羅する範囲は実に幅広く、そこから『貨幣の「新」世界史』というタイトルも生まれました。

従来の貨幣史と異なる点は主にふたつ。まず、生き残りをかけた生物同士の共生関係こそが貨幣の出発点だと見なし、ミトコンドリアの細胞内共生や光合成にまで起源を遡っていること。そしてもうひとつ、人間にとっての貨幣の起源は物々交換ではなく、実は債務だったのではないかと指摘したうえで、貨幣がモノやサービスを交換するための手段だという大前提は揺るぎないけれども、価値の象徴として貨幣そのものを評価する見方がある一方、単なる計算単位としてのみ評価する見方もあることを紹介しています。前者には硬貨などのハードマネー、後者には紙幣などのソ フトマネーが該当します。

さらに本書では、経済を市場経済と贈与経済に分類しています。贈与経済においては、恩を受けたら返す義務があるという発想を前提に、細かく定められた社会的慣習にしたがって人間関係が進められていきます。その具体例として第3章では、日本のお歳暮やお中元、バレンタイン・デーの義理チョコなど、細かいルールにしたがって贈り物がやりとりされるプロセスが詳しく説明されており、日本人の読者ならば興味をそそられるのではないでしょうか。当事者にはわかりませんが、外国の方々から見ると、非常にユニークな習慣のようです。ギブ・アンド・テイク、すなわち借りたものは返すという関係から、お金のやりとりは発展した可能性もあると著者は論じています。本書によると今日では、金融上の決断を下すときの脳の反応を断層写真で確かめることができます。あるいは、親から受け継いだ遺伝子の種類によって、お金に対する姿勢が慎重なのか大胆なのかが決定されるそうです。

こうした情報を参考にすれば、お金に関する人びとの行動を正確に予測して、たとえばビジネスに役立てられそうに思えますが、そう簡単にはいきません。どのような歴史的・文化的背景を持つ社会に所属するかによって、行動は様々に変わっていきます。さらに宗教の存在も見逃せません。キリスト教イスラム教も仏教も、お金をどう扱うべきかについて細かく定めているので、信者ならば確実に影響されるでしょう。どの宗教も金儲けそのものを否定しているわけではなく、社会のためにお金を役立てるためにはどうすればよいか、賢明なアドバイスを行なっています。

もちろん、本書は貨幣の歴史について詳しく取り上げています。貨幣が誕生したのは紀元前700年頃のリディア王国(今日のトルコの一部)。一方、債務の仕組みができあがったのはそれより何千年も古く、古代メソポタミアの時代(ハンムラビ法典には債務に関する記述が残されています)。どちらが出発点とは断定できませんが、まずは生きるために必要な食糧が原始貨幣として取引され、やがて銀など希少金属で硬貨が鋳造されるようになり、時代と共に洗練されていきました。時代が下り、版図を大きく広げた元王朝フビライ・ハンの時代、広大な領土のなかで持ち運びに便利な紙幣が注目され、それをきっかけにソフトマネーが普及しました。

原始貨幣からハードマネー、ソフトマネーへと発展していく経緯についての記述は、なかなか読みごたえがあります。景気を回復させるために紙幣を乱発し、それが結局はインフレを引き起こし、対策が失敗に終わるパターンが、過去に何度も繰り返されてきたこともわかります。しかも本書は歴史だけでなく、貨幣の未来にまで目を向けています。

第6章には、電子商取引、ポイントカード、おサイフケータイビットコインなど、今日すでに使われている様々なマネーが紹介されていますが、その種類には驚かされるばかり。どれも一昔前までは想像もできませんでしたが、いまや当たり前のように利用されています。ビットコインも弊害が指摘されてきましたが、利用者は増え続けているようです。一体全体、お金はどこまで変化していくのでしょう。本書によれば、頭のなかに埋め込まれた装置によって、お金を介さず直接取引が行なわれる可能性もあるとのこと。そうなると、せっかく時間をかけて進化してきたお金は、この世の中から消滅してしまいます。

それが便利だと素直に喜べないのは、お金には芸術的価値があるからでしょう。これまでの長い歴史を通じ、世界各地で様々な硬貨が鋳造されてきましたが、その表面には様々な模様が刻まれており、発行された当時の社会について知る大きな手がかりになっています。硬貨の美しさに魅了された収集家たちを著者は訪ね歩き、それぞれの人生にどれだけ深い影響をおよぼしているかを確認しています。一枚の硬貨の図柄からは、発行した国の歴史や地理について学び、品質からは当時の経済状態を知ることができます。そんな貴重な存在であるお金が、そう簡単に実体を伴わなくなるとは思えません。

本書の著者カビールセガール(Kabir Sehgal)は本書執筆時、J・P・モルガンの新興市場担当ヴァイス・プレジデントでした。現在は、米電子決済サービス企業のファースト・データで、企業戦略を担当しています。ほかにも外交問題評議会のメンバーであり、大統領選挙のスピーチライターを務めるかと思えば、児童書を執筆し(Walk in My Shoes。アンドルー・ヤングとの共著ほか)…… 実に多才ですが、それだけではありません。何と、ジャズのベーシストでもあり、グラミー賞を受賞した作品をプロデュースしています。二足、いや何足ものわらじを上手に履きこなしている金融アナリスト、といったところでしょうか。

そんな八面六臂の活躍が、お金に多彩な角度から取り組んだ本書を執筆した原動力なのかもしれません。本書は実に多くの分野を網羅しています。セガールは各分野の専門家の様々な研究結果を集めて一冊の本にまとめるため、膨大な量の文献を読み漁ったそうです。文献に関しては巻末に紹介されていますが、これだけのものをよく読破したと驚かされます。お金の様々な側面について面白いエピソードをまじえて紹介している本書は、ニューヨーク・タイムズ紙とウォール・ストリート・ジャーナル紙でベストセラーとして高く評価されました。ポール・ヴォルカー、ムハマド・ユヌス、ヴァージン・グループのリチャード・ブランソン、カーター元大統領、クリントン元大統領など、多くの著名人から賞賛されているのも納得できます。

誰でもお金について考えない日はないでしょう。日々暮らすため、将来を設計するため、お金はなくてはならないものです。大金持ちにならなくても、平凡に生活できれば満足だという人でも、その平凡な生活を実現するためにお金は必要です。いまやマイナス金利の時代となり、お金をどのように活用すべきか、頭を悩ませている人も多いでしょう。株価には一時のような勢いがないので、金に投資しようかと考えている人もいるはずです。大胆に発想できれば、ビットコインに積極的に投資するのもよいかもしれません。

そう言えば、マイナス金利をきっかけに、金庫の売上が好調だそうです。タンス預金が増えるのでしょうか。金儲けが人生のすべてではありませんが、幸せをつかむためにお金は大事な手段のひとつであり、誰もが蓄財のために知恵を絞るのは当然です。そんな身近な存在であるお金について、本書をきっかけに見直してみてはいかがでしょう。お金は私たち個人個人や社会を豊かにしてくれる媒体ですが、お金そのものにじっくり目を向けてみてはどうでしょうか。

一枚の硬貨は、高度な技術を駆使してきれいな形に仕上げられ、表面には発行する国の文化や歴史を象徴する図柄が描かれています。日本の10円硬貨も100円硬貨も、よく見ると本当に見事な出来栄えです。穴の開いた5円玉は、世界でもめずらしいでしょう。お金そのものに親しみがわけば、お金を大切にしようとする気持ちが育まれ、その気持ちが社会全体に広がれば、将来どのような形になろうとも、お金は良い方向に進化していくでしょう。ちなみに私は、電子商取引よりは、お金を実際にやりとりする形のほうが好きです。カードが何枚も入っている薄いお財布よりは、お札や硬貨で膨らんだお財布を手に持っているほうが、心は安らぎを感じます。

本書『貨幣の「新」世界史』が、少しでも多くの読者の皆さまに楽しんでいただけますように。

 

 

honto.jp

昔の貨幣用語集

 貨幣用語辞典

即売会やネットオークションを見ていて「なにこれ」と思った用語、ありませんか?

 
収集家や貨幣商とのやり取りの際に、よく使われる用語集です。

コンディション編

未使用(UNC) [みしよう]紙幣なら折り目、汚れのないいわゆる「ピン札」の状態であること。硬貨なら、造幣局の包装から取り出したばかりの、傷や変色のない綺麗な状態であること。英語圏では、”Uncircurated”(未流通)の頭文字を取って「UNC」と省略表記される。
極美品(AU) [ごくびひん]上記の未使用には劣るものの、折り目・汚れ・傷等はほとんど見られず、美しい状態の紙幣・硬貨。英語圏では、"Almost Uncercurated"(ほとんど未流通)の頭文字を取って「AU」とか「AUNC」と表記される。
美品(VF) [びひん]今、あなたのお財布に入っている「普通の」お札とか硬貨の状態。流通したことによりくたびれているけれども、ひどく汚れたり破れたりしているわけではなく、鑑賞に耐えうるもの。英語圏では”Very Fine”を略して”VF”と呼んでいる。収集品として推奨できるのはここまで。
並品(F) [並品]製造時の面影が無くなるほど、破れたり、汚れたり、落書きされたり、傷がついたりした状態の紙幣・硬貨。余程の希少品ではない限り、安価であっても購入に値しない。
カドが丸い 一見、未使用に見える紙幣の四角がこすれていて、ごくわずかに丸みを帯びていること。取引価額引き下げの要因になる。
   
   
   

紙幣編

日本銀行 我が国の中央銀行。管理通貨制度の下、日本銀行券を発行する。
日本銀行 日本銀行が発行する不換紙幣。
日本銀行兌換券 かつて日本銀行が発行していた、額面金額と同額の金貨との交換が保証された紙幣。紙幣の信用力が今ほどなかった時代に、「必要とあればいつでも金貨と交換してあげますよ」ということを謳って発行された。手持ちの金地金に紙幣の発行量が縛られるため、次第に発行されなくなった。
日本銀行兌換銀券 かつて日本銀行が発行していた、額面金額と同額の銀貨との交換が保証された紙幣。
不換紙幣 「モノと交換できない」という意味ではなく、「中央銀行窓口での、金貨・銀貨への交換が保証されてない」の意味。日本銀行券もドルもユーロもみんな「不換紙幣」。各国中央銀行が、手持ちの金地金・銀地金に左右されること無く、自行の信用力と自国の経済情勢を見ながら不換紙幣を発行している。
記番号 お札に印字されている「JY811574Q」みたいな英数文字列。アルファベットの部分が「記号」で数字の所が「番号」である。同じ記番号の紙幣は一枚しか存在しない。詳細は公表されていないが、記番号を観察することでその紙幣が、いつ頃どの印刷工場で製造されたかが概ね判別できる、とされている。
記番号が一桁 戦後の日本銀行券において、記番号の左側のアルファベットが「Y811574Q」のように一つしか無いもの。新しい紙幣が発行された最初期に製造されたことを示し、アルファベット二桁のものより枚数が少ない。
AA券 記番号が一桁の日本銀行券の内、「A000001A」のように左右に一つづつAがついた銀行券のこと。最も最初期に製造された90万枚のうちの一枚であることを示すため、収集家に人気がある。
ゾロ目 番号部分が「111111」だったり「123456」「000001」のようにきれいな数字になっているもののこと。
総裁之印 日本銀行券表面に押されている印鑑。日本銀行総裁の印。
発券局長 日本銀行券裏面に押されている印鑑。日本銀行発券局長の印。
軍用手票 戦時中、他国の占領地にて、軍需物資を調達する際に使用された紙幣。自国の貨幣をそのまま使用すると問題が多いため、発行される。略して「軍票(ぐんぴょう)」とも。
朝鮮銀行 日韓併合により、朝鮮が我が国の一地域だった時代に発行されていた紙幣。朝鮮半島のみならず、一時は満州など大陸でも使用された。朝鮮が我が国の統治を離れた後も、南朝鮮においては韓国銀行券が発行されるまで流通した。
台湾銀行 日清戦争勝利により我が国の領土となった台湾で使用された紙幣。
ポリマー紙幣 プラスチックポリマー(ポリエチレン系合成樹脂)を紙の代わりに素材として製造された紙幣。高耐久性や気軽な動機による偽造防止に効果があるとされる。
マイクロ文字 極めて小さな文字のこと。紙幣の様々な箇所に配置されている。カラーコピーや家庭用プリンタでは、再現しづらいため偽造防止に効果がある。
発光インキ 蛍光剤を含み、紫外線(ブラックライト)を照射すると鮮やかに光りだす。カラーコピー・家庭用プリンタを使用した気軽な動機による偽造防止に効果。
セキュリティスレッド 印刷用紙に漉き込まれたテープ状の金属箔などのこと。地味な仕掛けだが、真券は透かせばスレッド部分が黒い影となって現れるが、コピーでは再現できない。
窓開きスレッド セキュリティスレッドの進化形で、スレッドが露出と潜伏のパターンを繰り返すものをいう。
ホログラム アルミなどの金属箔にレーザーを照射して模様を刻み、眺める角度によって模様が変化する仕掛けのこと。
発行 中央銀行の窓口から払い出され、通貨として流通すること。「発行日」はその最初の日のこと。

硬貨編

 

バイカラークラッド貨 2色の異なる金属を組み合わせた円形(模様が刻印される前の金属片)に打刻したのが、「バイカラー貨」。さらに、その2つとは異なる金属を挟んだ構造をしているので、「バイカラークラッド貨」と呼ばれる。我が国では、地方自治法施行60年記念500円貨が代表例。
洗い 経年劣化した硬貨の表面を、洗剤などで磨くこと。基本的に、歓迎されない。
プルーフ 一般の硬貨よりも、丁寧な加工と特殊処理によりきれいに仕上げた観賞用の貨幣。模様の浮き出方が鮮明で、通常の未使用とは明確に異なる。
プレミアム貨 材料の値段が、額面を上回る貨幣。たとえば、「1万円記念金貨」発行に際し、材料として2万円分の金を使用し、販売価格が3万6千円として発行された場合、「プレミアム貨幣」と呼ばれる。販売価格がいくらであろうと、通貨としては額面分でしか通用しないため、完全に収集家向けの「商品」である。現金化する場合は、金融機関ではなく貨幣商・ネットオークション等へ持ち込む必要がある。
カラーコイン 表面に特殊な技術でカラー印刷を施した硬貨。完全に観賞用の商品として発行される。
未発行 戦争、大規模災害などにより、実際に製造されたものの発行されなかった硬貨の事。通常は廃棄処分となるが、時折、後年になって収集市場に放出されるケースがある。
試作貨 文字通りプロトタイプのコイン。
発行 中央銀行の窓口から払い出され、通貨として流通すること。「発行日」はその最初の日のこと。

 

貨幣に関する法令用語10個!

間違えやすい法令用語10 通貨・法貨・貨幣・紙幣・銀行券

1 意味
「通貨」とは、「通」が「強制通用力のある」意味、「貨」が「おかね」を意味するところから、「法定のおかね」つまり「法貨」と同義語です。

「貨幣」は、通貨と同じ意味でも使われますが、通貨のうちの鋳造されたものをいうこともあります。
我が国で、貨幣とは五百円、百円、五十円、十円、五円及び一円の六種類の鋳造貨幣(コイン)です。

「紙幣」は「紙でできたおかね」で、「銀行券」も同じく「紙でできたおかね」です。

すこし、詳しく説明します。

2 通貨
通貨とは、「強制通用力を認められた支払手段」をいいます。
法律によって強制通用力が与えられているので、法貨ともいいます。
我が国には、「通貨」は「法貨として無制限に通用する」銀行券(日本銀行法46条2項)と、「額面価格の二十倍までを限り、法貨として通用する」貨幣((通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律7条)があります。

3 貨幣
貨幣は、一般的には、広義の意味で「強制通用力を認められた支払手段」をいいますので、通貨と同義になりますが、我が国の場合は、法律上「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」5条1項で、五百円、百円、五十円、十円、五円及び一円の六種類とされています(ただし、国家的な記念事業として閣議の決定を経て発行する記念貨幣は別です。5条2項)。

4 紙幣
紙幣は、「紙で作られた通貨」あるいは「紙で作られた広義の貨幣」をいいます。
紙幣には、「広義では政府の発行するいわゆる政府紙幣のほか強制通用力を賦与された銀行券を含むが、狭義では前者だけを指す」(有斐閣発行:法律用語辞典第3版)とされています。

5 銀行券
銀行券は、「もともとは、銀行が発行する手形で、銀行の社会的信用を背景に流通手段として用いられたもの。現在は一般に、中央銀行が独占的に銀行券を発行し、これに強制通用力を与える制度がとられており、また、本位貨幣との兌換(だかん)の認められない不換銀行券となっている。我が国では日本銀行が発行している(日銀46①)。」(有斐閣発行:法律用語辞典第3版)のです。
日本銀行法施行令13条には「日本銀行券の種類は、一万円、五千円、二千円及び千円の四種類とする。」と定められています。

 

mbp-okayama.com

貨幣とは?

. 貨幣の機能は何か

貨幣は、交換の相手が、自分が望む商品を所有しているかどうかという不確定性と自分が所有している商品を望んでいるかどうかという不確定性からなるダブルコンティンジェンシーを縮減するがゆえに、コミュニケーションメディアである。

n人が、それぞれ自分で消費するつもりのない異なった等価の商品を一つづつ持っていて、かつ他者が所有する商品を一つだけ求めている時、偶然出会った二人の間で交換が成立する確率は、1/(n-1)2でしかない。逆に言えば、物々交換の不便を解消するシステムは、エントロピーを2log(n-1) 減らすことができるということである。

実際には、すべての商品が等価というわけではないから、自他の欲望が一致することはさらにまれである。もし相互に、相手が望む商品を所有していないのならば、その商品を自らの労働によって生産しなければならない。ところがこのとき、囚人のジレンマが発生する。

今、魚を手に入れることを望む山の住人と猪の肉を手に入れることを望む海辺の住人が、一定の日にまでに、それぞれ一定量の猪と魚を捕獲して、交換する約束をしたとする。

このとき、山の住人は、次のように推論する。

相手が約束の期日に、約束しただけの魚を捕るかどうかわからない。もし相手が約束を破るなら、私は自分で消費するつもりのない余計な猪を獲る必要はない。もし相手が約束通り魚を捕ったとしても、相手は自分ですべての魚を消費できないのだから、食べ残った魚を盗めばよい。

もちろん、海辺の住人も同じ戦略を考える。その結果、どちらも約束を破って自分が消費できる分しか生産しないから、ナッシュ均衡は自給自足ということになる。しかしこれは最も望ましい状態ではない。比較優位の理論が教えるように、たとえ一方が他方に対して絶対優位の競争力があったとしても、分業と交易は、全員の利益を増加させるからだ。では、分業と交易はいかにして可能か。

分業と交易に躊躇している二人の前に、価値があるならどんな商品をも受け入れ、それを誰にとっても価値がある等価商品と交換し、そして別の商品が欲しくなった時には、それと等価な任意の商品と交換してくれる信用できる豊かな第三者が現れれば、問題は解決する。貨幣という普遍的媒介を通して、山の住人は海辺の住人と魚と猪の交換をすることができる。

2. 貨幣はなぜ流通するのか

なぜ貨幣は誰にとっても価値あるものとして流通することができるのか。いったん流通すれば、貨幣が交換媒体、価値測定尺度、価値貯蔵手段として有用であることは自明である。しかし特定の財が貨幣となることに何か根拠があるのだろうか。かつて、金や銀などの貴金属が貨幣素材として使われていたが、今では卑金属や紙や電磁波がそれに取って代わっているので、貨幣を構成する素材に貨幣の価値の根拠を求めることはできない。

では、貨幣は法律で貨幣と定められているから貨幣なのだろうか。そうではない。法律で特定の財を貨幣として定めても、人々がそれを使うとは限らない。また、民間企業でも、独自のマネーを発行できる。例えば、消費者がアンケートに答えてポイントを貯めると、それをプレゼントと交換することができるというルールを作れば、企業は貨幣を発行していることになる。

ならば、貨幣の価値には何の根拠もなく、ただこれまで貨幣として流通してきたから今も貨幣として流通しているだけなのだろうか。そうではない。もし貨幣が自己完結的な価値を持つならば、なぜ政府の財政赤字や政情の不安定化が通貨価値の下落をもたらすのかが説明できない。

3. 貨幣の価値を担保するものは何か

私は、貨幣とは発行者の資産と期待収益を担保とした証券であると考える。現在の貨幣は不換銀行券だから、政府や中央銀行に持って行っても何か価値ある商品と換えてもらえるわけではない。しかしそれは国民が税金を貨幣で納めているからである。政府は、その気になれば、江戸時代の幕府のように、税を物納させることもできる。その場合、中央銀行が発行する貨幣は、国有財産と歳入を担保にした証券であることがはっきりする。

もちろん、実際に発行されている貨幣価値の総計は、国有財産と歳入の規模をはるかに超えている。これは、貨幣が持つ有用性価値だけでは説明できない。むしろこのことは、信用創造により、価値が膨らまされていることを意味している。政府の財政赤字が担保価値という観点から通貨価値を下げるのに対して、政情の不安定化は信用という点で通貨価値を下げる。

貨幣の額面価値と貨幣製造費用との差額はシニョレッジと呼ばれる。現在最もシニョレッジの恩恵に浴しているのは、アメリカである。FRBは、ドル紙幣を世界の基軸通貨として国内で使える以上に発行できる。シニョレッジはしばしば不当な利益として非難されるが、実は信用という商品を作る政治的・軍事的労働への正当な報酬なのである。実際信用は不確実性(エントロピー)を減少させるがゆえに価値を生むのである。

日本が経済大国であるにもかかわらず、円がドルのように国際的に通用しないのは、国際社会における日本の政治的軍事的役割が小さいからである。貨幣が普遍的な価値を持つためには、発行者自身が普遍的存在でなければならない。

 

honto.jp

書籍紹介『錬金術の終わり 貨幣、銀行、世界経済の未来』

★預金者から調達した資金が長期投資のために使われ、新たな価値を生み出すという、歴史的に続いてきた現代金融の仕組みはまさに「錬金術」だ。ところが、金融の「賢者の石」を追い求めるこの錬金術は、ハイパーインフレから金融破綻まで、経済に大惨事をもたらしてきた。市場経済錬金術師である貨幣と銀行はなぜ、その「アキレス腱」になってしまったか。錬金術を終わらせて、健全な金融と経済を築くにはどうすればよいのか。

★著者は、世界金融危機を収拾した立役者のひとりであり、「錬金術師」とも評された前イングランド銀行総裁。その豊かな学識、歴史への洞察、中央銀行総裁としての経験をもとに、現代の貨幣・銀行システムが生み出す危険性に対して痛烈な警告を発する。そして、大恐慌の再来を防ぐための新たなアイデアにもとづく金融システム、経済政策への移行を提示する。主流派経済学とは異なる観点からの大胆な問題提起のため、刊行されるや、メディア、学界などで議論を呼び起こしている。

★著者は、安定した将来見通しが得られない不確実性と経済の不均衡が常に存在する現在、従来の金融の仕組みでは、必ず危機が再来すると警鐘を鳴らす。そこで、中央銀行の果たすべき新たな役割、危機を引き起こさない銀行システムを提案。世界経済の不均衡を原因とする、迫り来る危機に対処するには、短期的な処方箋である金融の量的緩和政策では効果がなく、新たな思想にもとづく経済学と政策の仕組みが必要だと力説する。

★『ライアーズ・ポーカー』『マネー・ボール』著者、マイケル・ルイスが「この本が十分注目されれば、世界を救うかもしれない」と大絶賛。「経済学の本で、これほど知的興奮を覚える本に出会うことはめったにないーー目がくらむほど、本当にすごい」(ジョン・プレンダー、フィナンシャルタイムズ紙コラムニスト)など、高く評価されている。

 

books.rakuten.co.jp